ザ・ドキュメンタリー
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ザ・ドキュメンタリー

0.3 Apr 2015
Ended

Overview

日本中を震撼させた「あの事件」、日本中を感動させた「あの瞬間」 懐かしくて、楽しくて、ちょっと悲しい…でも私達を元気にしてくれる出来事もたくさんありました。 「あの時のニッポン」を、今に残る「貴重な映像」と、今を生きる「貴重な証言」と共に振り返ります。 そして、未来を切り拓くためニッポンを再発見します。 さらに「傑作ドキュメンタリー選」として様々なジャンルの貴重なドキュメンタリーも発掘していきます。

Japanese
E7

15周年記念傑作選 龍宮は舞い降りた ~1300年の時を超えて甦る薬師寺~

今から45年前に復興工事が始まった薬師寺。金堂、西塔は無事に復興。復興発案から約30年が間近に迫り、一番大きな建造物となる大講堂の復興に取り掛かろうとしていた。現場で働く者の中には、「薬師寺の現場だけでサラリーマン生活を終える」というほどの期間を過ごした者もいれば、全国から結集した宮大工の中には、「大工人生の半分以上」を薬師寺の復興現場にささげたという人もいた。それは、1300年前に建てられた歴史的建造物に隠された"日本古来の匠(たくみ)の技"の奥深さを追求する、職人たちの夢への挑戦でもあった。 「1300年もった建物だから、今度の工事では最低1000年はもつ建物を作る」という、職人たちの壮大なるロマン。建物の基礎研究から始まり、樹齢1000年を超える木を使っての支柱作り、ひび割れしない土壁、そして装飾品や瓦作りなど、その工事は難航を極めた。中には、建設当時の道具の復元が必要な場面も。それは、大講堂だけで約50億円ともいわれる大工事となった。宮大工を中心とした職人たちの信念と技が、日本が誇る世界遺産に隠されていた伝統技法を読み解いていく。82歳のベテラン左官職人が復元した"古来の土壁"。その完成までには、なんと3年以上の工程が必要だった。 番組では、薬師寺・大講堂の復興工事を追いかけながら、伝統技法に挑戦する職人たちの生きざまに密着。1300年前の奈良時代にタイムスリップする職人たちとともに、薬師寺に埋め込まれた建築技法の謎に迫る。

May 28, 2015 120m
E8

大橋巨泉がん4度目の闘い ~治す人治さぬ人・・・命のドキュメント~

今年になって、著名人のがんの告白、がんによる死が世間の話題となっている。音楽家でプロデューサーのつんく♂さんの喉頭がんによる声帯全摘出。人生を狂わしてしまうがんに対し、日本人はどのように闘ってきたのだろうか? 名司会者だった大橋巨泉さん、女優でタレントの原千晶さん、そして女優の沢田雅美さんは、がんを告白し、またがんと向き合って闘っている。特に大橋巨泉さんは、この番組の放送直前に肺がんの手術を受け、その後のインタビュー取材にも答えてくれた。原千晶さん、沢田雅美さんも闘病生活と家族の支えをカメラの前で語ってくれた。さらに、最愛の妻が乳がんとなった、ジャーナリストの田原総一朗さんは、「心中、自殺まで考えた」と当時の心境を激白。闘病生活での「スキンシップの重要性」をあげている。 「闘病」といっても、手術や、抗がん剤治療、放射線治療を受けながらの闘病と、治療をしない闘病がある。抗がん剤の副作用でボロボロになりながら生き続けるより、ありのままの生活で、ありのままの姿でがんと向き合う女性もいる。 さまざまな見地からがんを分析した今回の「ザ・ドキュメンタリー」。もしも、あなたががんになったとき、一体どんな向きあい方を選ぶだろうか。

Jun 4, 2015 120m
E9

「19歳が見た沖縄の戦い」 ~悲劇!封印された島民の叫び~

沖縄にとっての「6月23日」をご存知ですか?この日は、沖縄県が制定している「慰霊の日」です。 1945年の6月23日は太平洋戦争「沖縄戦の組織的戦闘が終結」した日とされ、沖縄では国の機関以外は休日となります。しかし終戦から70年を経た今も、県民の闘いは続いています。世界一危険といわれる「普天間基地問題」と米軍基地新設に揺れる「辺野古基地移設問題」です。先祖の代から、命をつないで来た海を守ろうとする地元の人々と、国策の大きな波に呑み込まれようとする同じ地元の人たち。厳しい選択を迫られ、二分化される沖縄。その声を執拗に追いかけ、2012年と2014年に放送した琉球朝日放送のドキュメンタリー作品を今だからこそ紹介したいと思います。さらに、これまで語られることのなかった沖縄戦秘話を発掘取材。戦後70年を迎えた沖縄の「イマ」の表情とともにリポートします。 2012年、沖縄の米軍基地問題をテーマにした報道ドキュメンタリー番組「標的の村~国に訴えられた東村・高江の住民たち」は、国家が弱い立場の住民を訴えるというスラップ訴訟の実態を伝える衝撃作として大きな反響を呼び、後に映画化もされました。また2014年には、基地新設問題で対立する辺野古の実態を追ったドキュメンタリー番組「裂かれる海~辺野古 動き出した基地建設~」が、第52回ギャラクシー賞・テレビ部門の大賞に選ばれました。この2作品は今、私たちに何を訴えかけているのでしょうか…?70年前の沖縄と今の沖縄の問題を繋ぐものとは何か…?その源流に迫ります。 その沖縄には、13歳でデビューした日本人最

Jun 25, 2015 120m
E10

終戦70年記念企画 戦いが聴こえた~ラジオが伝えた太平洋戦争~

太平洋戦争で、様々な悲話が残されているのが"特攻隊"の兵士たちです。 死を覚悟して戦地へ向かった兵士たちの中には、家族や友人、恩師に向けてのメッセージを録音して、ラジオ番組で紹介される人もいました。そしてそれは、まさに彼らの最後の肉声…となったのです。死を覚悟した兵士たちは、ど���ような心境を語ったのか?どのような声を発していたのか?果たして最後のメッセージとは…? ラジオ番組で放送された音源から、兵士たちの心の奥底にあったであろう、"話したくても話せなかった"真のメッセージを読み解きます。 また一方で戦局が悪化すればする程、ラジオは無くてはならない情報ツールでした。 戦意高揚を図る番組も少なくなり、アメリカ軍による空襲情報を知らせる内容などに変化していったのです。中には、「B-29爆撃機とP38戦闘機の爆音の違いとその時の避難について」を知らせる番組までありました。国民にとって欠かすことができなかったラジオからの情報とは、どのようなものだったのでしょうか? さらに日米それぞれが"最新メディア"ラジオの電波を軍事利用。相手国の戦意を喪失させる目的で、嘘の情報や怪情報を電波に乗せるなど熾烈な謀略合戦を繰り広げました。"見えない爆弾"とまでいわれたラジオを利用した情報戦の真実とは? そして戦争の終わりを天皇自らが告げた「玉音放送」も、ラジオから流れた音声でした。 しかし、その放送直前には、一部将校たちによる「玉音放送」を阻止しようという決起行動もありました。今回の番組では、人々に"情報を伝える"はずのラジオ電波を巡って繰り広げられた、戦時中

Jul 15, 2015 120m
E11

開局15周年記念企画 幻の甲子園 ~戦争に埋もれた球児たちの夏~

「全国高等学校野球選手権大会」は1915年(大正4年)から始まり、今年100年目を迎える。昔から日本人の心に深く定着してきた国民的イベントだが、1941年の第27回大会の地区予選途中から1945年まで、戦争で中止されていた時期がある。だが開催中止の翌年、1942年の夏、太平洋戦争の戦時下で、文部省が朝日新聞社から開催権を奪って主催した「幻の甲子園」があったことは、ほとんど知られていない――。軍事色が強く、記録にはカウントされていない幻の大会だ。そして、幻の大会で優勝した徳島商業の名前は、記録上なかったことになっている。 野球を愛した球児たちも、その後、出征して戦死したものが多く、生き残った球児も現在90歳。二度と戦争の悲しい歴史を繰り返さないためにも、彼らの声を届けたい…。 「幻の甲子園」には16校が出場した。今回、優勝した徳島商業高校、準優勝の平安高等学校、ベスト4の海草中学校(現在の和歌山県立向陽高等学校)、広島商業高等学校の4校にスポットをあてる。それぞれの学校の現役の高校生に、元球児たちをインタビュー取材してもらい、「70年前の青春」を掘り起こしてもらう。 過酷な環境下で、野球を希望に生き抜いてきた元球児の方たちと出会い、数々の貴重な証言を得ていく中で、現在の17歳は果たして何を感じるのだろうか?

Jul 23, 2015 120m
E14

うちら陽気な"かしまし娘"

結成59年となった今年、長女・歌江さん(86歳)は数多くの痛みを背負っていました。 体を酷使してきた漫才人生で、思い出すたび悔やまれるのが戦前に使用したヒロポン。 今でいう麻薬の一種であるヒロポンの使用で、人気があった"十代の少女姉妹漫才コンビ"は離ればなれの生活になってしまいます。 戦後は、次女・照枝と三女・花江が漫才コンビを組みますが、鳴かず飛ばず…。 やがて、ヒロポンの中毒から立ち直った長女が、再び舞台へ。 こうして、三姉妹の漫才ユニット"かしまし娘"が、誕生します。 戦前は、合法的に市販されていたヒロポン。三姉妹の生い立ちから、 ヒロポンに悩まされ続けた壮絶な少女時代、そしてかしまし娘誕生の秘話を、 本人や関係者の証言で振り返ります。 また、今も歌われる「♪ ウチら陽気なかしまし娘~ 誰が言ったか知らないが~」という"かしまし娘"のテーマ曲。当時は、大人から子どもまで誰もが知っていたこのテーマ曲の誕生とヒットの秘密が、明らかに…。 なんと世界のヒット曲に共通する"ある音楽のマジック"が、隠されていました。 さらにテーマ曲を弾いていたギターを、十数年ぶりに押し入れの奥から出してみると…。 結成後は、順調に舞台やテレビで活躍を続けたかしまし娘。 ところが、結成26年目を迎えた時に突如活動休止を宣言。 三姉妹がそれぞれの道を歩み始めます。一世を風靡した"かしまし娘"の突然の休止…。 その真相が初めて語られます。そして今回、それぞれの道で今も多忙の三姉妹が久しぶりに再会。3人で思い出の舞台へとあがります。 芸能生活83年を迎える長女、そしてかしまし娘の結

Sep 24, 2015 120m
E15

マイナス60℃の女性記者 南極・北極を取材した12年

「極地から地球が見えてくる」。 朝日新聞の中山由美記者は、こう話す。 12年にわたり南極と北極に通い続けてきた中山記者は、日本で過ごしているとあまり気付かない地球環境の変化を、肌で感じてきた。今回、中山記者が長年取材してきた動画記録から、それを紐解く。 古くから人類が憧れてきた最果ての地、南極と北極。見るものをとりこにし、"光の奇跡"と呼ばれるオーロラが空に広がる極地。希少な動物が数多く生息する北極。マイナス90℃近くにもなる氷の大陸・南極。その極限の世界には、今も手つかずの自然が残されている。 そんな地に魅せられ、通い続けるのは、朝日新聞の記者・中山由美。女性記者として初めて南極観測隊に参加し、南極に2回、北極は4回も訪れ、極地取材のスペシャリストとして活躍している。これまで誰も取材できなかった場所や人に出会い、多くのスクープを報道、数々の賞を受賞してきた。 北極ではグリーンランドの氷河が縮小を続ける。溶け出した水は滝のように流れ、氷河をえぐり深く巨大な穴「ムーラン」を作りだす。南極では、紫外線を多く通すオゾンホールが上空に現れ、二酸化炭素濃度の上昇もとらえている。 人間社会から遠く隔絶された地で地球環境を探る、その最前線を中山記者のカメラは記録してきた。 さらに、南極は地球や宇宙の歴史をも私たちに教えてくれる。観測隊は、映画「南極料理人」の舞台となった「ドームふじ基地」で、72万年前の氷を掘削。内陸の山地では、太陽系誕生を知る手がかりとなる隕石を1万7千個以上も採集。そこには、氷に閉ざされた大陸だからこそ知ることの

Oct 8, 2015 120m
E16

どこへいく?新国立競技場~東京オリンピックをつくった男たち~

1940年の東京オリンピック開催が決まった時、誰もが明治神宮外苑地区がメイン会場だと考えていた。その中でただ1人反対したのが、東大安田講堂を設計した建築家・岸田日出刀だ。ベルリンオリンピックを視察した岸田は自ら写真を撮り、帰国後はパンフレットを作り、反対を唱えた。そして代替案として、陸軍が所有する代々木練兵場をメイン会場の候補にあげる。この時、岸田37歳。陸軍の猛反発を受けるも臆することなく、自らの主張を訴えた。結局、駒沢ゴルフ場だった場所がメイン会場の候補となるが、日中戦争勃発で開催中止となった。 1958年、1964年の東京オリンピック開催が決定。岸田は、オリンピック施設の建設責任者となった。当時60歳。建築界のドンと呼ばれた男は、因縁の代々木に自分のまな弟子・丹下健三を任命し、丹下を世界の舞台に押し上げた。 神宮外苑地区には、1958年3月に国立競技場が完成していた。設計は、建設省の角田栄(しげる)。アジア大会のために設計された会場だが、周囲の景観に配慮したものだった。しかし、東京オリンピック開催決定で、この場所をメイン会場とするために拡張工事が行われた。設計はもちろん角田。角田も岸田同様、この地区の景観の大切さを認識していた。苦悩する角田はひとつのアイデアを考えついた。 東京開催が決定した頃、東京は深刻な問題が持ち上がっていた。都市交通だ。慢性的な交通渋滞の上に、オリンピック選手や国内・外の観光客を大量輸送する道路もない。東京都建設局にいた山田正男は、この時を絶好のチャンスと考えた。強烈な個性とパワーで「

Oct 15, 2015 120m
E19

時分の花からまことの花へ ~歌舞伎役者 片岡愛之助が見る未来~

「とにかく歌舞伎を観に来てほしい。生で観てもらえれば絶対に面白いと思ってもらえる。」 2014年11月から密着を始めたカメラに、歌舞伎役者・六代目片岡愛之助は何度も繰り返した。 テレビでの活躍を糧に、今新たな境地を目指して本業に邁進する愛之助。 その目には、歌舞伎の、そして自分の未来が、きっちりと見えていた。 テレビドラマ「半沢直樹」で一躍ブレイクした片岡愛之助。本業は歌舞伎役者である。ドラマをきっかけに、初めて歌舞伎を観に来てくれる人が増えたことをとても喜んでいる。 「敷居が高いって思われがちでしょ?きっかけはなんでもよくて、この人が歌舞伎やってるんだ、じゃあ観に行ってみよう、ととにかく歌舞伎を観に来てもらえるのがありがたい。」 元々、歌舞伎とは関係のない船のスクリューのプロペラを作る町工場の長男が、初めて観た歌舞伎の世界に「かっこいい!」と心酔したのがことの始まり。持って生まれた素質と数多の幸運に恵まれ、1992年19歳で大阪、上方歌舞伎の名家、片岡秀太郎の養子となり、六代目愛之助の名を継ぐ。最初は自己の研さんに必死だった愛之助だが、主役を務めるチャンスが巡ってきて一つの思いに気が付いた。「もっと歌舞伎を観てもらいたい。」 同世代の役者や未来を背負うべき後輩たちが上方にはほとんどいない。東京の歌舞伎座のように年間通して歌舞伎の公演が上方ではできていない…。もっと歌舞伎を観てもらうため、越えるべき壁はどんどん現れる。今こそ自分は何を成すべきか。 テレビでもラジオでもメディアにはどんどん出て行こう。もっと片岡愛之助を、歌舞伎を、

Nov 19, 2015 120m
E20

美智子さまから雅子さまへ・・・ 世紀のパレード発掘秘話! ~皇室を守った親子の物語~

太平洋戦争の終戦直後、皇室そのものの存続が危機にさらされた時がありました。 東京裁判で昭和天皇が訴追され、戦争責任を問われる可能性があったのです。 それは、天皇制そのものの存続の危機でもありました。 そんな中、天皇制を守るため連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーに 秘密工作を行った人物こそが勇さんの父、鎌田銓一(かまたせんいち)氏でした。 陸軍中将として敗戦を迎えた彼には、もうひとつの顔がありました。 戦争前にアメリカに留学、アメリカ軍の大隊長として勤務していたことがあったのです。 しかも、その大隊を束ねるトップにいたのが誰あろう、後の連合国軍最高司令官となる ダグラス・マッカーサーでした。 戦前にマッカーサーとの知遇を得て信頼されていた鎌田氏は、終戦後、急ぎ満州から帰国。 厚木に降り立つマッカーサーを出迎える大役を担うことになりました。 実はこの時、鎌田氏には重大な密命が下されていました。 「天皇制を護持せよ!」 マッカーサーとの人脈を最大限に生かして、「戦後日本に天皇制を残すことは、国家再生の 為に不可欠であることを連合国軍に認めさせる」というのが、鎌田氏に託されたミッション でした。鎌田銓一とマッカーサー。2人の間にはどのようなやりとりがあったのでしょうか。 鎌田機関による秘密外交の実態に迫ります。 結果として、昭和天皇は戦犯に問われることなく、天皇制も残されました。 その後、新憲法の下で生まれ変わった天皇制を守り続けて来られた天皇陛下と美智子さま。 さらに、それを引き継がれている皇太子殿下と雅子さま。 様々な困難

Dec 10, 2015 120m
E28

天才落語家・立川談志 ~異端と呼ばれた男の素顔~

昭和11年1月2日、東京の小石川生まれ。本名松岡克由(まつおかかつよし)。 小学校5年生の時、伯父に連れられて行った「浅草松竹演芸場」で、初めて生の落語を見てその話芸に心奪われ、「ずっと寄席に居たい、寄席にずっと居るためには落語家になるしかない」という思いが心に芽生えます。 その夢をかなえ、16歳で柳家小さんに弟子入り。柳家小よしという名前を与えられ修行に励みました。  昭和29年には、二つ目に昇進。名前も柳家小ゑんとなります。 談志は落語だけにとらわれず、アメリカンジョークを習得してキャバレーや ストリップ劇場の幕間でスタンダップコメディーとして披露するなど多彩な才能を開花させラジオやテレビにも引っ張りだこになりました。 しかし、そんな談志を襲った屈辱…。 入門が早かった談志より先に、弟分だった古今亭志ん朝が真打に昇進してしまったのです。談志は古今亭志ん朝に「辞退しろよ!」と迫り、この悔しさと落語協会への不満をのちのちまでひきずります。  24歳のとき、フィアンセがいた女性に猛アピールし略奪結婚。 この女性が生涯の伴侶となる、則子(のりこ)さんでした。  その後、タレント議員ブームにのり、参議院議員に当選するも、酒に酔って会見を行ったため非難が殺到して辞任。その破天荒ぶりが話題となります。  さらに、真打昇進試験への不満をきっかけとして落語協会を脱退。 立川談志を頂点とする家元制の立川流を創設すると、立川志の輔、志らく、談春らを育て上げます。 晩年は病との闘い。1997年 食道ガン、2008年には喉頭がんを患います。 ガンを完治させるためには、落語

May 12, 2016 120m
E29

それでも私は、デモに行く ~ココは国会前。変わるかニッポン~

毎週金曜日、国会前で開催される反原発デモ。そこに参加するのは、家族連れから90歳の老人まで幅広い層。しかし、そのデモの列をよく見てみると、その多くが60代から70代のシニア世代である。60、70年安保を経験、挫折した彼らは再び国会前に集結した。番組では60年安保に参加したジャーナリストの田原総一朗や、その後の音楽人生に影響を与えた歌手の加藤登紀子など時代の証言者へのインタビューを交えながら、シニア世代が再び立ち上がった背景を検証していく。 毎週金曜の反原発デモに5年間、1日と休まず、通い続ける90歳の男性がいる。なぜ彼は通い続けるのか?そこには彼自身しか語ることのできない青春時代の「ある記憶」があった。 アーティストの坂本龍一から「(この国の)希望」と評された学生団体「SEALDs(シールズ)」。ツィッターなどのSNSを利用しながら彼らが確立した現代版デモとは?ファッショナブルな若者たちがなぜ「反戦」を叫ぶことになったのか?しかし、安保法制も施行された現在、シールズが打って出る次なるアクションとは? 2016年現在、日本各地では新たなデモが続々生まれている。「保育園落ちた日本死ね」ブログへの共感から始まった「待機児童問題」は全国各地で様々なデモとなり国会での論戦も白熱。その中である高校生が「保育士目指しているの私だ」デモを一人で企画し立ち上げる。準備も不十分なたった一人の挑戦は果たして成功するのか!?それ以外にも日夜、ヘイトスピーチの抗議活動や労働問題に参加する大学生などに密着。なぜ人は路上で声を上げることをやめないのか?そして彼らの声が国会へ

May 16, 2016 120m
E31

横山やすし 西川きよし 結成50年~初めて明かされる素顔~

上方芸能の重鎮・西川きよしは71歳。去年2016年は彼にとってさまざまな事を考えさせられる年だった。元日に最愛の母を亡くし、その直後自らの体にも異変が…。ガンの手術という経験を経て、見事病魔を克服。その復活が各メディアでも大きく報じられた。 2016年はもう一つ大きな意味を持つ年でもあった。それは“日本一おもしろい”といわれた伝説の漫才コンビ「横山やすし西川きよし」が結成して50年。今も現役で舞台に立つ西川きよし。そして、短い人生を駆け抜けた横山やすし。輝かしいコンビの歴史にはたくさんの出来事があった。栄光の受賞、謹慎騒動、選挙出馬…2人の漫才はその度に研ぎ澄まされ、その結果、「ドキュメンタリー漫才」を確立させたのだ。番組では、20世紀最高の漫才師とうたわれた「やすきよ」誕生の瞬間から、アクシデントや事件を乗り越えて成長を続けるやすきよ漫才の変遷を、数々の貴重な映像と時代の目撃者の証言から迫っていく。いまだから話せる西川きよしの真の思いとは…。 2人をよく知る、演芸界を支えてきた澤田隆冶さんをはじめ、仕事でもプライベートでも親交があった久米宏さん、林家木久扇さん、明石家さんまさん。また、横山やすしの実の娘である相馬光(旧姓木村)さん、そして長男であり俳優である木村一八さんも父・やすしについて、20年間黙っていたという真実をこの番組で初めて語る。 やすきよの本当の姿がついに明らかになる!

Jul 7, 2016 120m
E32

伝説の名監督 川上哲治 ~王・長嶋が今語る!不滅のV9秘話~

大正9年熊本県球磨郡大村(現・人吉市)に、8人兄弟の長男として生まれた川上哲治。貧しいながらも母のためアルバイトで家業を支えつつ野球に打ち込んでいた。 奨学金を受けながら通った、野球の名門・熊本工業学校(現・熊本工業高校)では、投手として2度の甲子園出場を果たしたが、いずれも準優勝の苦杯を味わった。 巨人軍に入団した川上は、打撃の神様と称され「球が止まって見える」という名言も残した。「名選手、必ずしも名監督にあらず」という通説を覆し、監督としても球史に残る日本シリーズ9連覇の偉業を達成。 今では当たり前のリリーフ投手の起用や、緻密なサインプレーを導入し、徹底した管理野球で「勝つ野球」の在り方を示した知将である。 その裏で、愛する家族に襲いかかった知られざる最大の危機を乗り越え、指揮を執っていた川上哲治。 番組では王貞治氏、そして長嶋茂雄氏にインタビューを敢行。 「ON」は川上哲治という人間をどうとらえていたのか? さらに柴田勲氏、黒江透修氏らV9レギュラーメンバー、さらに数々の名勝負を繰り広げた星野仙一氏、野村克也氏などライバルたちの証言から浮き彫りにし、9連覇を成し遂げた川上ならではの人心掌握術に迫る。

Jul 14, 2016 120m
E34

夏の甲子園!吹奏楽の熱い闘い~応援の舞台ウラ・密着60日~

日本の夏の風物詩といえば高校野球。頂点を目指して、高校生活の全てを懸け野球と向き合ってきた球児たち…。甲子園では毎年多くのドラマが生まれ、見ている者の胸を熱くする。番組では、そんな高校野球を音楽で支えている“吹奏楽応援”にスポットを当てる。現役で100万人、経験者を加えると1000万人はいるといわれている吹奏楽人口。日本は世界でも有数の吹奏楽王国で、その歴史をひもとくと、学校の部活動として盛んな吹奏楽部は、そもそも野球応援のために作られたという学校が多い。高校野球の歴史は、高校吹奏楽の歴史でもある。今回は、地方大会から注目校の5校に密着取材し、野球と音楽に青春を燃やした高校生の熱い夏をドキュメンタリーとして紹介する。 ・千葉県習志野市立習志野高等学校。吹奏楽コンクール全国大会で金賞を22回も獲得した吹奏楽の強豪校。熱血先生と部員200人が奏でる「美爆音」の秘密に迫る。 ・栃木県作新学院高等学校。野球部3年に兄を持つ吹奏学部1年の妹。兄、妹、そして家族で目指す甲子園への道を描く。 ・愛知県東邦高等学校。今大会、野球部の地区大会準決勝と吹奏楽部のコンクールの日程が重なった。試合当日は、なんと野球部の女子マネジャーが1人トランペットで選手たちを応援! その裏には、女子マネジャーと吹奏楽部員の親友2人の約束があった。 ・吹奏楽部の草分け的存在、奈良県天理高等学校。さらに、33年ぶりの甲子園出場を果たした尼崎市立尼崎高等学校にも密着。 果たして、今年はどんな名勝負が繰り広げられるのか? アルプススタンドではどんな青春ドラマ

Aug 25, 2016 120m

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